らるふ122’s blog

ココロを洗濯!

日常ー通勤編ー

朝7:53に家を出て、おなかをさすりながら歩き方を気にしながら
背筋をレストランや郵便局の窓ガラスに映る自分をチェックしながら
8:20に駅着。


3番線のホームに肩幅背丈は私と同じくらいだが、
薄くて非常に華奢で、顔が小さく染めた茶髪をハーフアップにして、
生え際がとてもきれいな大学生くらいの女の子がいたので、
その子のとなりに立って待つ。


8:24発の電車が来る。
速度を緩めながら通り過ぎる電車のドアの窓ガラスに映る
大学生の女の子と私。
その女の子と同じくらい小動物みたいな顔をしている自分の顔に
驚く。


電車に乗り込んで、リュックを荷物棚に放り投げる。
人が多い電車だから、投げないと棚に届かない。


ガリバー旅行記を読む。
肩に斜め後ろの女のバッグがあたってうざい。
なんででっかい片掛けバッグなんてもってこの時間帯の電車に乗るんだろ。
自分の幅を気にしてくれよ。
場所取りすぎなんだよ。
そのバッグの中にはさぞかしその人の大切な宝物がたくさん入っているんだろう。
きっと、どこに行くにしてもその宝物と離れずにはいられない人なんだろう。
そんな理由でもない限り、
場違いな荷物抱えて電車に乗る奴は許せない。


降りる駅に着く。
立っている臭いおっさんどもを蹴散らしながら棚まで近づいて、
ぶっきらぼうにリュックを取る。
  取るときにおっさんの肩と頭にリュックがぶつかる。

ごめん、とは思うけど、
口には出さない。
そんなに異臭を放って、
周りにバイオテロ仕掛けるようなヤツに、
誤る義理はない。
それに、早く下りないと電車が発車してしまう。
人が多すぎる車両からホームに降りるための最善の方法。

 

 

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安らぎは死

こんばんは。らるふです。

 

「私って毎日何を思って生きてるんだろう?」

そう考えて、1週間ほど前から毎日、何か考えるたびにそれをノートに書きつけています。

 

さて、何を書いてるのかと見返すと…

「コート臭くなったな、クリーニングに出そう」

「コーヒーってカラダにいいらしいけど、私はそれよりも飲んで歯が茶色くなっていく方が嫌だな」

「プログラミング、わからなくなった。しんどい。でもやる」

「一人暮らしが寂しい。怖い。でも、ひとりで生きていけるくらい考えもたくましくなりたい」

「今日来た佐川のお兄さんがかっこよかった。ラッキー!」

などなど。

 

どうせくだらないことばっか溜まっていくんだろうなって思っていましたが、

自分で読み終わるとと、なぜか明るく前向きな気持ちになれるんです。

 

内容じゃないんです、

あ、私、毎日何だかんだ有意義に生きてるんだって思えるんです。

 

平日も休日も、自分がやっていることに何も自信が持てず、こんなんで生きている意味あるのかなんて考えていました。

友達と遊んでもいきなり一人暮らしを始めてもプログラミングの勉強をしてもソフトで作曲しても楽器を吹いても、どうもそわそわするんです。

楽しめていないんですよ、人生を。

なんでなんだろう。わからない。

 

 

 

思ったことをノートに書きつけることで、うれしいという気持ちが湧いてきました。

私、ロボットじゃなかった。思ってることあるじゃん。

 

って。

 

〜したい、なりたいって、無意識に書いてることに嬉しくなりました。

よかった。

 

 

雑談でした笑

 

 

 

 

恥ずかしいと思ってるのが恥ずかしい

こんにちは!

minohamotiです。

 

恥ずかしいと思った経験、人間何年もやってたらあります。

ズボンにトイレットペーパー挟みながらお出かけしちゃったとか、

友達と居酒屋で飲みまくって騒いだ翌日会社に行ったら実は昨日上司も同じお店にいたらしく見られていたとか、

 

恥ずかしいと思うことは自然です。

ただ、いつまでもグジグジその感情でいっぱいになっているのは、その状態がむしろ恥ずかしいことだと私は思います。

 

そもそも人間はどうして恥ずかしいと感じて赤面したりしてしまうのでしょうか?

 

学術書など読んでいないので明確な論拠をあげることはできませんが、

私が常々考えて導いた理由は、

「周りの人にどう思われるか」を気にしてしまうからではないか、と思います。

 

こんな馬鹿なことしちゃったよ、みてる人にアホだなって思われてるよな影で笑われるよなとか、

無意識に考えてしまうのではないでしょうか。

 

では、当事者が恥ずかしいと感じてしまった行動を見てその周りの人は実際どのように思ったのか。

 

これも周りの人にインタビューしてないからあくまで推測ですが、

確実に、

「何も思っていない」

と思います。

 

だって、

みんな自分のことにしか興味ないし。

自分が興味持ったものにしか興味ないし。

 

周りの人に注目しながら街歩きます?

ほぼほぼないです。

 

だから、恥ずかしいと思うことは、自意識過剰な感情なんです。

 

周囲は当事者ほど気にしてはいません。

 

 

 

やる気を出す方法①

こんばんは!

minohamotiです。

 

どうしようもなくやる気の出ない、かったるい日ってありますよね…

とにかく何もしたくない。洗濯物溜まってるけど、食器洗ってないけど、動きたくない日。

私も1週間に1日はあります笑

でも会社に行かないといけない、とか、今日は友達と出かけるんだとか、やらなくてはいけないことがある。

そんな時、私が実践しているやる気の出し方をご紹介します。

 

それは…

 

 

 

「今日は私が生きる最期の日だ」って思うことです!

 

 

 

 

暗い笑笑。

 

いやいや、全然辛くないですよ!

むしろ明るい!

だって、今日が最期の日ならば、その日めいいっぱい生きようとしませんか?

この世にあるものあること全部がキラキラしてくるんです。

 

洗濯したくない。

でも今日最期なんだから、さいごに洗濯物放り込んでスイッチでも押してみるかな!

 

食器が溜まってる。

でも今日最期なんだから、せめて綺麗にしようかな!

 

通勤電車で遭遇する周囲に舌打ちばっかしてくる変な人。

でも今日最期なんだから、その人に会いに行っちゃおうかな!

 

なんて。

 

そんなこんなで動いてみたらあら不思議!

いつの間にかさっきまでの憂鬱な気持ちがなくなってる!

 

友達との約束をめんどくさがってたのに、最期だしせっかくならって待ち合わせ場所に行って会ってみたら、

めちゃくちゃ楽しくて盛り上がっちゃうんですよ。

 

最期だと思って明日を生きてみてください。

きっと、何気無い日常が濃いものになります。

贖罪。

 

こんばんは。minohamotiです。

 

今回は自分の母への感謝と、謝りたいことを徒然ていきます。

 

会社員1年目の歳で、ようやく母の大きさ、偉大さに気付かされました。

 

小学校高学年の頃に父親が他界し、女手一つで自分と兄を育ててくれた母。

兄はそこまででしたが、自分はこれでもか!ってくらい反抗期が長く、大学卒業くらい、いや、ここ最近まで母を嫌っていました。

 

ちょっとしたことで腹を立て、母から誕生日にもらった洋服をハサミで切り裂いて捨てたり。一人で海外に行くことを許してもらえず、物に当たったり物を母に向かって投げたり。

 

自分のする事なす事を全く受け入れてくれない、認めてくれないと思い込んで、母なんか消えてしまえって、何百回も思ったり、ノートに殴り書きしていました。

 

自分は最近、一人暮らしを始めました。

きっかけは母との口論で、衝動的に家を探していました。

 

「一人暮らしするから」とぶっきらぼうに言い放つと、「いいんじゃない?私も内見に行く」と。

…あれ?なんだかすんなりことが進んでしまって意外でした。

 

家も決まり、引っ越す日に、母はこっそりと知り合いに大きな車を頼んでいたらしく、自分の荷物を運んでくれました。

 

荷物を新しい家に運び入れ整理をしていると、

中に見覚えのない袋が。

中にはトイレットペーパーやティッシュ、フライパンなどが入っていました。

一人暮らしに必要なものは前々からある程度準備はしていたのですが、その袋の中のものはどれも自分の準備リストの中にはないものばかりでした。

 

涙が止まりませんでした。

 

最低最悪の娘なのに、自分が買い忘れるであろうものを何も言わずに用意してくれた。

 

一人暮らしを始めてからは本当に寂しくて、寂しいです。

顔も見たくないと一時期思っていた母の顔が何度も思い浮かんできて、何度も泣きました。

週末に実家に帰っているのですが、「帰ってきてくれて嬉しい」と言ってくれるのです。

実家の自分のベッドはコイルがマットレスから飛び出していたのですが、それも新しいものに買い換えてくれていました。

 

もう、これからどうやって生きていけば親孝行ができるのだろう?

最近こればっかり考えてしまって、考えすぎて実は今日会社を欠勤しました笑

 

何かいいアドバイスいただけたらうれしいです。

 

捨てることを選択する生き方

こんばんは。minohamotiです。

 

今回は「捨てることを選択する生き方」について徒然ていきます。

 

与えられる人生から、自ら選択して組み立てていく人生へ。

今まで持っていたものを捨てるという選択は、人生を組み立てる上で必要なことだと思ってます。

この世に生まれた瞬間から、最初は保護者に、次第に周りの人から何かを与えられて人間になっていく。

名前、食べ物、服、ベッド、住む場所権利、しつけ…。

 

人間になる過程で、刺激的なことや人に巡り合う。

学校での集団生活、部活に強制加入、で、野球というスポーツに出会う、とか。

 

環境から与えられる刺激から、次第に自分からもっと刺激を求めていくようになる。

それで好きな事が見つかったり、好きな人に出会ったり。

 

今の時代、本当に物に不自由しない。欲しいと思ったら大概手に入る。

 

何者にもなれる時代なのに、「やりたいことがない」で溢れかえっているのは何故だろう。

 

きっと、「慣れ」とか「当たり前」って、悔いのない人生をつくるとき、邪魔なんだと思う。

 

きっと、感覚が鈍ってくるんだと思う。

 

ならば、命を捨てない範囲で、身の回りのものを試しに捨ててみたらどうだろうか?

 

「捨てる」は決してネガティブな言葉ではない。むしろ、生きてる感覚を研ぎ澄ませてくれる、ステキな言葉。

 

捨てたら見えてきたもの、ありました。

 

 

文字が読めないけれど

はじめまして。

 

minohamotiと申します。

 

突然ですが、

皆さんは

何か情報を得るとき、どんな媒体を使いますか?

 

色?絵?形?音?

 

…言葉?

 

この世の中には、たくさんの言葉が溢れかえってますよね。

電車の中、街中、雑誌、スマホの中…

文字の羅列からどれだけの情報を得られるか、

あまり意識してないけれど、

文字から情報を得られるってすごい才能だと。

 

でも、筆者は、

文字を読むことから情報を得ていると思えたことは、今までない。

 

文字は読めないことはない。

単語の意味はわかるけど、単語と単語が助詞で繋がった瞬間、わからなくなってしまいます。

文字列から単語を拾い出して、組み合わせて、助詞は矢印みたいな記号に変換して、くっつけて、ようやく一文の内容がわかる感じ。

 

今、文章を書いているけれど、書けるけど、今書いているところより前の文章は、文字の羅列にしか見えていません。それまで書いていたことは、自分の中に残ってるイメージでなんとなく記憶しているだけで、だからですますとか揃ってないと思う。

 

ただ読解力がないとか、

ただ読むことを怠けてるだけと思われる方もいらっしゃると思いますが、

そこが苦しいのです。

 

でも筆者は、ブログとかツイッターとかで作り上げられているコミュニティに強い憧れを持っています。

想いや気持ち、考えたことを文章で表現して、それに共感すれば、簡単に、たくさんの方と繋がることができる。

筆者の場合、まず書いた人が何を言わんとしているのか、そこを理解するのが難しい。

とにかく分解して読解するから、読み忘れてしまう箇所もちらほら、抜かしてしまうと書き手の言わん事を読み取れる可能性は低くなる。

 

でも、どうにかして、繋がってみたいから、

ならば自分で文章を書いてみたらどうかなって思って、

はてなブログを始めました。

 

読みにくい文章でごめんなさい。

読む訓練と同時に、書き手として文章で表現したら、少しは変われるのではないか?という想いを胸に、 書いていきます。

 

文字が読めないけれど

文字を書きたい。